2014年5月20日 館報まっさき

2013-04-22館報まっさき 第234号 平成26年5月20日

・末崎町防災集団移転事業・災害公営住宅スケジュール等
 ・防災集団移転事業
 ・災害公営住宅
・濱守栄子ワンマンライブ
★末崎町振興会新役員
★末中仮設運動場完成
★癒やしのつどい
★デジタル公民館まっさき活動
★霞が関ナレッジスクエアからのライブ映像
 ◇霞が関寄席 馬吉・駒与志
★ふるセンから 新管理人
・末崎の風土散策 (23)~村誌の「脱走來」(戊辰の戦)について~


館報まっさき 2014年5月濱守栄子ワンマンライブ
 My Route ~「じゃあね。」また帰ってくるから~

 末崎町大浜出身のシンガーソングライター濱守栄子さんが、活動拠点を東京から地元岩手県に移すことになりました。これまでの7年間に及ぶ活動の集大成となるコンサートを東京霞が関ナレッジスクエアから地元末崎町の皆様に生中継します。この機会にたくさんのご参加をお待ちしております。なお、今後は盛岡を拠点に活動していきますので引き続きの応援をお願いします。
日 時 6月13日(金) 19時15分~
場 所 ふるセン 会議室(2階)
参加費無料です。

末崎町防災集団移転事業・災害公営住宅スケジュール等
大船渡市議会議員末崎市議団からの情報を掲載いたします。
防災集団移転事業

災害公営住宅

★末崎町振興会新役員
 末崎町振興会
 会長 細川 武人 氏

★末中仮設運動場完成
末中の仮設グラウンド(赤土倉地内)・仮設テニスコート(市営球場第2駐車場)が完成し、4月 23日使用開始式が行われた。
 今後、体育の授業・行事・部活動に使用される。
 5月17日には広いグラウンドで運動会が行われた。
末中運動会

★癒やしのつどい
期日 5月24日(土)
   明けがらすづくりとお茶の会
   6月10日(火)
     24日(火)
   手芸の予定
時間 13時~16時
場所 ふるセン

★デジタル公民館まっさき活動
 5月17・18日に行われた活動報告を公民館のサイトで公開します。また、期間中に行いました活動の様子や陸前高田長洞元気村なでしこ会の講演や「ごいし民俗誌」勉強会の映像を近日中に公開します。
 是非ご試聴ください。

★霞が関ナレッジスクエアからのライブ映像
◇霞が関寄席 馬吉・駒与志

 日時 5月28日(水) 
    19時~20時30分
 出演 金原亭 馬吉
    金原亭 駒与志
 場所 ふるセン 会議室

★ふるセンから
新しく中井幸子さんが管理人になりました。

末崎の風土散策 (23)
 ~村誌の「脱走來」(戊辰の戦)について~

 明治2年(1869)2月5日、唐丹の大石、越喜来の崎浜、綾里を経て末崎の赤土倉に上陸、そして抜刀、西舘の前、武田吉右エ門方に押し入り、刀を振り回し脅喝乱暴追いかけて、元寺の元吉、畠中の団蔵を捕縛したが、この急報に金山沢の肝入り清兵衛をはじめ、村民は大いに激昂して竹槍・大鎌等を携え、300名余りが泊里熊野神社前に集合、細浦の忠蔵、内田新屋の冶三郎を指圖役として武田家を取り圍み、処々に篝火を焚き「脱走出てこい」と大声で呼ぶと、賊24名中12名が抜刀して出てきたので、「それッ」と掛け声もろとも石礫で、一斉攻撃をかけたら、その勢いに押されて屋内に入り、畳を立て戸張をしての、防戦となったので、かすの巳之助は半鐘を乱打し「小友から加勢300名」、「どこそこから加勢何百名」等大声で叫ぶと、その圧力に負けて静かになったので、夜中になり、石倉の忠蔵と内田新屋の治三郎が屋内に入り、談判したところ脱走兵はその罪を深く謝り、当村からは何物も貰わない。2人の人質は返すこと。明朝、箱根を越えて他に行くことの条件で決着し、翌朝、鷹田(平バス停)から細浦スの与三郎が案内して、山頂から米崎の浜田方面に送ってやったと云う。誠に驚くべき大事件(戦い)であった。
 この頃の時世は、慶応4年、明治2年の王政復古を経て、明治政府を樹立した薩摩藩、長州藩らの中核新政府軍と旧幕府勢力、および奥羽越列藩同盟が、戦った日本の内戦時であった。その略年表は次の通り。
1867(慶応3)年 
   5月14日 松平慶永等、国事を討議。
 5月21日 中岡慎太郎、西郷等挙兵討幕の密議。
 10月14日 徳川慶喜大政奉還。
  11月15日 坂本竜馬、中岡慎太郎暗殺。
1868(慶応4)年
1月 4日 戸羽・伏見の戦争おこる。(戊辰戦争の始まり)
4月11日 討幕軍江戸入城、徳川方抗戦派将兵は江戸を
         脱出し各地で抗戦。
5月 3日 奥羽越列藩同盟成立。
5月15日 上野戦争で彰義隊撃滅。
7月17日 江戸を東京と改称。
1868(明治元年)
9月 8日 明治と改元。
   9月22日 会津落城。
  10月13日 脱走兵ども気仙沼を経て広田湾に上陸する。
         細浦は何事もなく通過。
1869(明治2年) 
   1月17日 脱走兵ども末崎村細浦に宿泊、翌日出発。
   2月 5日 唐丹・越喜来・綾里を荒らし回って末崎村赤土倉に上陸
         し西舘に至り浪籍を働く。
   3月25日 幕府軍と官軍による宮古沖海戦。
   5月18日 箱館(五稜郭)戦争終結(榎本武揚軍降伏)
   8月    蝦夷地を北海道と改称。
      次号に続く(聖)

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