気仙に学ぶ! 「長洞元気村視察」活動報告(3)

【映像視聴可】
3.11を語り継ぐ「語り部ツアー同行記」
語り部 金野マサ子(長洞元気村 なでしこ会)
場 所 長洞元気村周辺
日 時 2014年3月16日
講 演 長洞元気村語り部による現地での被災体験談「あの日、私は」(22分25秒)

長洞元気村語り部による現地での被災体験談「あの日、私は」(22分25秒)



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語り部ツアー ボランティアで訪れた陸前高田広田町の長洞(ながほら)地区仮設住宅。ここでは様々な取り組みをされているのですが、そのプログラムのひとつ、「語り部ツアー」に参加させていただきました。被災された方に現場を案内していただきながら体験談を伺う内容です。私のグループでは9名が参加しました。

 本日の語り部は「まさこ先生」。昔、幼稚園の保母さんをされていたそうです。

 長洞集落は、「上組」(標高30〜35m)と「下組」(標高7〜10m)から成り立っており、津波では下組の28戸が流されました。まさこ先生のお宅は海を見渡せる景観のよい場所でしたが、堤防を超えた海水がぶつかってきて、強い引き波で全部持っていかれたそうです。

 まさこ先生は高齢のため海岸に向かってゆっくりと坂を降りていきます。

語り部ツアー 最初に目についたのは、「東日本大震災 津波浸水地域」の標識。3.11の津波はここまで到達しました。「船が流れついて、しばらくそのままになっていた」そうです。

 さらに下って行くと、石碑と半鐘が見えます。昭和8年時の津波のモニュメントです。「津波と聞いたら欲捨て逃げよ」の文字が刻まれていました。毎日見ているせいか長洞地区住民の意識は高く、3.11では家屋の被害は大きかったのですが、犠牲となったのは役所勤めの若い人ひとりだったとか。地震のときはすぐに車が回ってきてスピーカーで避難を呼びかけ一斉に逃げたそうです。しかし、呼びかけが遅れた他の集楽ではたくさんの犠牲者が出ました。

 「見晴らしの良い一番好きな場所に家を建てて、幸せに暮らしていたのに、この歳になって、また家を建てなければならなくなった」「この先、どれけあるかわからないけど、また最初からやり直しだ」という言葉に、ツアーの参加者は出来事の重さを、あらためて噛み締めていました。
(記 酒井 弘雄)

2014年3月活動 気仙に学ぶ!「長洞元気村視察」活動報告
(1) 村上誠二事務局長講演「被災地長洞元気村のチャレンジ」
(2) ワカメ芯抜き作業体験
(3) 3.11を語り継ぐ「語り部ツアー同行記」

(2014.4.24更新 記事を分割、動画を追加)
(2014.4.25更新 お名前修正)


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