語り部 吉田力男さんに聞く

【映像視聴可】
「災害が繰り返される地域で暮らす覚悟と教訓」
日 時:7月26日 14:00~16:00
場 所:大船渡市末崎町泊里 吉田力男さん宅
お話し:住まいと仕事 津波への備え(32:05)

 「デジタル公民館まっさき」5月活動で行った「ごいし民俗誌」第1回勉強会に参加いただいた吉田力男さんにお会いし、お話をうかがってきました。お話の内容はビデオ収録させていただきましたので、編集後、ご自身で見ていただいた後、公開させていた計画です。

住まいと仕事 津波への備え(32:05)



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 よそ者の自分が吉田力男さんに興味をもったのには、もちろん「ごいし民俗誌」を読んだり、5月18日の勉強会での発言などから、碁石地区の暮らしや文化に詳しい方であり、気仙大工の家に住んでいる方として興味を持ったわけですが、そのほかにも意外な繋がりがありました。
 居場所ハウスで何回かご一緒し、お茶っ子していた背の高いおばあさんが、なんと吉田さんの叔母さんにあたる、ということがわかったのです。ごいし民俗誌・勉強会の1週間後の居場所ハウスのフェースブックの映像を見てびっくりしました。そこにはなんと勉強会で配布した「ごいし民俗誌」の26~27ページに掲載されていた吉田さん宅の平面図を指差しながら「ここでじいさん、ばあさんと寝てた」、「囲炉裏が二つありひとつは炭だけを、もうひとつは木だけを炊いていた」等、昔の話を語るおばあさんの映像が公開されました。その方とは、以前、釜石へ嫁入りした時のお話を聞き、高齢者にありがち(足腰が弱くなる、耳が遠くなる、目が弱くなる等)なことがほとんど感じられず、背筋がしゃんとして背が高く、気さくな方であること、どうしたらこういう年寄りになれるのかと感心していました。
 さて、語り部トークですが、2時間にわたるお話はこの地域の災害や暮らし、まちづくりに関わることのほか、今に残る気仙大工の名建築を建てた六代前の四郎治さんや一番影響受けたとされるひいおばあさんのミエさん、誇りに思っているというお母さんのフジエさんにも及びましたが、災害への教訓という視点で印象的なことを数点あげてみます。
吉田力男宅
吉田力男宅
詳しくは映像コンテンツをご期待ください。

  1. この地域の津波は親切な津波である。地震が起きてからだいたい30分後にやってくる。
    30分あれば逃げることは可能であり、命を落とすことはない。
  2. 自分のひい爺さんは明治16年から19年にかけて今の場所に家を建て、泊里の平地から移転した。移転した土地のあたりは明治29年の大津波に襲われ、家や住んでいた人たちは大きな被害を被った、その後、昭和8年の大津波のときも、今度の3.11のときも、そういう意味では、被害を受けて高台に移転した人、移転した人の後に住むようになった人、そしてまた被災する、ということが繰り返されている。今、高台移転しようとしている土地の多くは、縄文時代に縄文人が暮らしていた遺跡の場所である。縄文人は安全な場所に住んでいた。縄文時代は明治以降のように経済活動に暮らしが左右される社会ではなかっただろうから、経済活動に便利な浜の近くを集落にする必要もなかったかもしれないが・・・。
  3. 3.11の大津波で学校や病院、役所など重要な施設が被害にあった地域があるが、その点末崎は、保育園、小学校、中学校、公民館などがすべて高台にあったので被害を逃れている。そういう意味で末崎の先人は偉かったと思う。
  4. 自分たちは水(井戸)も食料(野菜やコメ)も燃料(木)も人の繋がり(近所、自治公民館)があるので、大災害にあっても家や地域として持ちこたえ、生きていける。都会はどうなんだ、大災害が起きたら生き延びることができるのか・・・心配だ。

・・・・・などなど。吉田力男さんが親や先祖から受け継がれている記憶、覚悟、考えから教訓を学び、生かしていきたいと思いますが、都会に暮らす自分が、せっかくのこの学びや教訓を、職場や地域に生かせるか、考えさせられます。

(文・写真 丸山 修)

≪吉田力男さんプロフィール≫
吉田平治さん、フジコさんの長男として、昭和18年7月10日末崎町泊里に生まれる。71歳。長年にわたり家業の養殖漁業に従事。平成元年から現在に至るまで末崎の漁協や泊里漁港の役員を務める傍ら第四消防団長、PTA会長、泊里地域公民館長など、地域の要職を歴任。3.11の東日本大震災後は末崎小学校の高学年児童から寄せられるふるさとについての質問に答える語り部として子どもたちの地域学習にも取り組んでいる。

* 明治三陸大津波:地震発生 明治29年6月15日午後7時32分、マグニチュード8.2−8.5
* 昭和三陸大津波:地震発生 昭和8年8年3月3日午前2時半 マグニチュード8.1−8.3

「ごいし民俗誌」【PDF】 (東京文化財研究所)


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