2014年6月20日 館報まっさき

2013-04-22館報まっさき 第235号 平成26年6月20日

・災害公営住宅入居希望者募集
・船河原・平間路線改良計画まとまる
・防災集団移転事業家屋新築工事進む
★癒やしのつどい
★デジタル公民館まっさきホームページご存じですか
★デジタル公民館まっさき活動
 ◇PCネットよろず相談
 ◇地域の絆と防災・心と体の癒
 ◇「まっさきに学ぶ!」
★霞が関ナレッジスクエアからのライブ映像
 ◇美人古事記
・末崎の風土散策(24)
 ~村誌の「脱走來」(戊辰の戦)について~その2


Kanpo_201404災害公営住宅入居希望者募集
201406kanpo1市では、被災前にその地区に住んでいた世帯を優先し入居希望者を募集する。
末崎町内の公営住宅は右表のとおり募集します。

船河原・平間路線改良計画まとまる
県土木センターでは、計画中の船河原・平間の路線改良計画がまとまったので、地権者、周辺関係者に地域毎に順次説明
会を開催し理解と協力を得たいということです。
また、門之浜・碁石線についても、本測量が終わった区間について、地権者など関係者に説明会を開催する方向で日程など検討中です。

防災集団移転事業家屋新築工事進む

防災集団移転地に建築中 =小細浦地区=

防災集団移転地に建築中
=小細浦地区=

 町内に計画されている防災集団移転事業が進み小細浦地区(8戸)では、現在5戸の住宅建設工事が行われており、早い方は秋に入居できるようです。
 また、門之浜地区でも予定されていた18戸分が引き渡され新築に向けて基礎工事を始めるところもあり、来春には新しい団地が出来上がるのではないかと思われます。

お知らせ
★癒やしのつどい
期 日 7月11日(金)
     手芸
    7月26日(土)
     黒みつ姫(おこわ)作り
     お茶の教室
時 間 13時~16時
場 所 ふるセン
※参加希望者は佐藤(29-2470)まで申込ください。

★デジタル公民館まっさきホームページご存じですか
デジタル公民館まっさきの活動や末崎に関係した情報、ふるさとセンターの予約状況などが見られるHPご存じですか。
一度ご覧ください。
また、末崎を離れて暮らしている親族・知人に紹介いただければ幸いです。「デジタル公民館まっさき」または、館報下部に記載のURLで検索してみてください。

★デジタル公民館まっさき活動
◇PCネットよろず相談
 ホームページ作成勉強会
パソコンの使い方からインターネットまで、お困りごとにスタッフが個別に解決まで対応します。また、ブログの使い方指導を行い、地域情報発信のお手伝いをします。
7月12日(土)
 13時30分~16時
 18時30分~21時

◇地域の絆と防災・心と体の癒
防災専門講師と末崎地区消防団との意見交換・勉強会を行います。また、他地域の消防団の活動紹介や心と体のトレーニングを通じて、防災体質について考えます。
講 師 鎌田修広氏
     株タフ・ジャパン代表
     元横浜市消防局体育教師
7月12日(土)
 18時30分~21時

◇「まっさきに学ぶ!」
第2回ごいし民俗誌勉強会碁石地区の民俗・風土をまとめた冊子「ごいし民俗誌」(東京文化財研究所)を題材に勉強会を行います。
7月13日(日)
 13時30分~16時30分
※場所はすべてふるセンです

★霞が関ナレッジスクエアからのライブ映像
◇美人古事記 ~神楽笛と講談でお届けする~
日 時 7月3日(木)
    19時30分~
出 演 こと(篠笛・神楽笛奏者)
    田辺銀治(講談師)
場 所 ふるセン会議室

末崎の風土散策(24)
 ~村誌の「脱走來」(戊辰の戦)について~その2

小友村史
 維新当時脱走兵北海道に落延びる落延るその際、本吉郡より渡海広田に到り東海岸を北行せり、到る所で掠奪を恣にし、我が村にても只出、谷地方面の白壁の土蔵は莚又は藁等を以てこれを覆ひ、辛うじてその難を免れたりと云う。(脱走兵の通過)
末崎村誌
 第1回目は明治2年1月17日、300余名の脱走兵が、本吉郡唐桑より広田に上陸し、大騒ぎとなったが、末崎は通過だけで、細浦から大船渡笹崎に上陸し、盛方面に向かった。
 第2回目、同年1月20日、岡部伊三郎外総勢24名が細浦に来て、北海道に行く途中だと語り、金山沢、高橋(現徳子様方)等に泊まり旅費を請い、細浦の有志者はこれに醵出してやると喜び、金山沢から刀などを借り出発して行った。
 第3回目はその後唐丹村の大石で引き返し、越喜来村崎浜の南部屋に寄り、更に綾里に渡り2月5日には末崎の赤土倉に上陸して、刀を抜き威嚇しながら西舘に来て、乱暴を始めた次第であった。
 以上のことから、これは明らかに戊辰の役(維新の戦)の脱走兵であり、鳥羽伏見の戦いに敗れ、上野に敗れ、会津の戦いに敗れて、最後の北海道の箱館(五稜郭)を目指して陸路を敗走中の敗残兵で、到る所で掠奪、狼藉をはたらき、難癖を付けて金品を巻き上げ、乱暴を恣にしたものと考えられる。その後彼等の行き先や結末は杳として、知るよしも無く、これも時の流れの中に姿を消してゆく物語りなのだろうか。
 戊辰戦争とは慶応4年(1868)4月1日の鳥羽伏見の戦いから、明治2年(1869)5月の箱館戦争までの戦いをいうもので、慶応4年(1868)は干支で戊辰の年にあたるので、この名称が付けられている。(聖)

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