H27.7「デジタル公民館まっさき」活動の報告

先日行われました「学びを通じた被災地の地域コミュニティ再生支援事業」(復興庁・文部科学省委託)2015年7月「デジタル公民館まっさき」活動の報告を掲載します。 

活動スタッフ

14名

  • アソシエイト層 3名
  • リーダー層(35~49歳)5名
  • シニア層(50歳~)5名
  • 65歳以上 1名

活動場所

大船渡市末崎地区公民館(大船渡市末崎町)

宿泊場所

ごいし荘別邸「海さんぽ」(大船渡市末崎町字大豆沢)

活動スケジュール

2015年7月11日(土)~12日(日)

スケジュール表

主な活動

7月11日(土) 活動概要

(1) 陸前高田市 奇跡の一本松 駐車場・休憩場 かさ上げ工事現場視察 11:10~11:30
(スタッフ参加者14名)

 まっさきへ向かう途中に通りかかる陸前高田市の被災地。126ヘクタールを平均12メートルかさ上げする工事が進んでおり、来るたびに景色は変容している。かさ上げの土は全長3キロに及ぶ巨大なベルトコンベアで、10トントラック換算で1日4,000台分を運んでいる。通常、土日休日だが、今回は工事中を視察できた。

来るたびに景色は変容
巨大なベルトコンベア

(2) ハネウェル居場所ハウス視察 & ランチミーティング 11:45~12:45
(現地参加者5名:語り部含む/スタッフ参加者14名)

①語り部 居場所ハウススタッフ 田畑美和さん

 田畑美和さんは元小学校の先生という経験を生かして地域の子どもたちや大人たちへの読み聞かせなどに関わっており、居場所ハウス開設後は運営に参加されている。

■田畑美和さんのお話の要旨

 仮設での生活をする家族がいること、親子世代の環境の変化、子育ての問題など地域が抱える問題が増えているので、居場所ハウスでも子育て、子どもの見守りをお手伝いできればいいと考え、子供を遊ばせる、見守る、図書を増やなどに取り組んできた。
 4月より東日本大震災現地NPO応援基金の助成により「わらしっこ見守り隊」という子どもの一時預かり事業を始めた。
 管理運営は居場所ハウスのスタッフで元教師、保育士中心に13名のボランティアが協力する体制を組んでいる。対象は4歳、5歳児と小学校1~6年生までの末崎町在住者。利用料は無料(ただし利用者は1名当たり年間800円の保険に加入することが必要)。
 利用日は学童保育と重複しない学校行事の振替休日、土曜日、臨時休校日、夏休み、冬休み。利用時間帯は、午前10:00~12:00。午後13:00~16:00、午前・午後の1日利用も可。
 4月から開始したが、残念ながらまだ(7月11日現在)利用者はいない。小学校と保育園にはチラシを配り、PR中。子供向け図書を集めているので協力してほしい

②語り部 末崎地区公民館 館長 新沼眞作さん

 新沼眞作さんは内田地域公民館長や末崎地区公民館運営委員長を歴任し、4月より末崎地区公民館長に就任。大船渡市ソフトテニス協会会長で現役プレーヤーとしても活躍中。

■新沼眞作さんのお話の要旨

 東日本大震災の末崎町の死者・行方不明者は、死者42名、行方不明22名、合計64名。
 中央地区の先に「門之浜湾」があり、そこに小河原地区という集落があった。昔製塩工場があったが、うまくいかなくて住宅団地になり、多くの人が自宅を建てた。そこはまっさきで最多の34名の犠牲者をだした。理由は内陸部から来て自宅を建てた人が多かったから。一方、細浦地区も碁石地区も昔から住んでいる人々が暮らす地域だったため、人的被害は少なかった。昔から住んでいた地域は津波への対応について語り継がれていたので避難が早かった。内陸部からの移住者は津波の経験が語り継がれていなかった。また、小河原地区で亡くなった方は、テレビを頼りにしていた。最初の段階で、こんな大きな津波が来るとの放送ではなかったので安心していた。津波が来るころに、初めて大津波だと放送され、結果逃げ遅れた。ここまでは来ないだろうと逃げなかった。
 我々は、小さい時から、明治、昭和の津波を経験した爺さんから震度が小さくても揺れが長く、ゆったりしている場合は津波が来る。そして、いったん逃げたら、けっして戻るなと聞かされていた。また、逃げる時、川沿いは逃げるな。津波が遡上してくると小さい時から言われて育った。
 防災集団移転住宅促進事業により、まっさきも碁石、細浦、峰岸などで山を削って高台を造成中だが、門之浜地区など、すでに竣工し入居しているところもある。そのほか災害公営住宅として県営や市営も建設が進められている。高齢者が多いので、今さら自宅を建てるのも難しい、公営住宅のほうがよいと言う人も多い。
 これからの跡地利用が課題だ。とくに大被害受けた小河原地区の跡地利用が問題だ。防潮堤12.8m。被災地の中央に200 邸。防潮堤とともに、浸水しないよう道路を作る。地図のグリ―ンの部分は多目的広場、公園、スポーツ関連施設、買い物ができる施設などを整備して事業化と雇用創出、これらを自立した経営で維持・存続する復興計画を考えたが、そういうコストのかかるもの、民間ベースの事業化とも考えられる計画への復興予算利用は難しい。結局、工事費がかからない多目的広場や公園というところが行政による被災跡地利用の実際のようだ。
 細浦地区は平成25年度から千葉大学の斎藤先生のグループの支援を得て、海浜公園や道の駅、買物弱者対策の店を計画したが、多くの土地を市で買い上げることはできないとのことで、一部公園、一部商店街のプランになりつつある。商店街の予定地には誘い水、PRとして朝市を計画し、5月からスタートした。高齢者が多く地元だけでは新たに店を作ることは難しいので外からの参入も望んでいる。
 碁石地区もいろいろな支援を得て、道の駅、株分けしていただいた中尊寺の蓮による蓮池計画、漁業の作業場、地域の運動場、祭の広場としての活用が想定される多目的広場などいろいろな提案がある。しかし、防潮堤は台形で高さは12.8m。底辺の距離が大きいので被災した土地の半分は防潮堤に使われることになる。残された土地をどう利用できるか、実現への道はまだまだ多難。
 跡地利用を難しくしているのは、高台移転者の跡地は買う、災害公営住宅に入る方の跡地は買う。しかし、それ以外の自力再建、商店の跡地は一切買わない。そのため、被災跡地が国有地と私有地の入り混じる虫食い状態になっている。これが跡地利用の大きな壁となっている。跡地利用は28年3月までにきちんと決める予定。

 
 

ランチミーティングの様子
末崎地区公民館 館長 新沼眞作さんのお話
末崎地区公民館 館長 新沼眞作さんのお話
居場所ハウススタッフ 田畑美和さんのお話

(3) PCネットよろず相談 13:30~16:00
場所:末崎地区公民館(ふるさとセンター)2階会議室
(現地参加者 8名/スタッフ参加者14名)

 参加者カルテを利用するようになって2度目のPCネットよろず相談。スタッフの半数が新メンバだったが、参加者のカルテや過去の相談履歴を見ながら相談に応じた。参加者もそれぞれの課題や目的を持って来場し、熱心に相談していた。また、これまでの成果をスタッフに見せながら、スタッフと和やかに会話している場面もあった。この場はパソコンを名目にしつつも、参加者にとっては、たまり場、居場所でもある。趣味的なことや、興味のあることなどを地元の方とスタッフが会話し、交流する場でもある。よい雰囲気の中、現地参加者とスタッフとの交流が図られた。今回は、男・女の参加者数がほぼ同数で、参加者どうしの交流も見られた。新たにFacebookに挑戦する参加者もいて、交流の輪の広がり、参加者のITスキルの向上が着実に進んでいると実感できた。

PCネットよろず相談 写真1
PCネットよろず相談 写真2
PCネットよろず相談 写真3
PCネットよろず相談 写真4

(4) まっさき竹とんぼグループミーティング 13:30~16:00
場所:末崎地区公民館(ふるさとセンター)1階調理室
(現地参加者 4名/スタッフ参加者1名)

 村上正吉代表を中心に、どこ竹@武蔵野三鷹・まっさきグループメンバー4名に、平成竹とんぼ教室の講師資格を持つ活動スタッフ1名も加わり、8月9日に居場所ハウスで実施する夏休みものづくり教室に向けて小刀を使って準備作業を行った。

まっさき竹とんぼグループミーティング 真剣そのもの
まっさき竹とんぼグループミーティング 無心に削る
まっさき竹とんぼグループミーティング カブトムシの胴体
まっさき竹とんぼグループミーティング 飾り台

(5) まちおもいトーク&情報交流会・懇談会 18:30~21:00
(現地参加者12名:語り部含む)/スタッフ参加者14名)

 「まちおもいトーク」というタイトルで地域の方に「地域ブランド」について語ってもらった。語り部は志田 仁さん(碁石地区在住/勤務先:大船渡市市民活動支援センター)と村上誠二さん(長洞元気村事務局長)のお二人。お二人のお話を受けて第2部では、質疑や意見交換を行なった。
 養殖業に従事する現役世代の方から、現在取り組んでいる仕事の価値をさらに高める取組みにチャレンジしていきたい、という趣旨の発言に対し、そんな苦労しなくても十分食べていけるから、そういう話が成り立ち憎いのがこの地域の特徴だ、という趣旨の発言もあり、地方創生の難しさの一端を感じさせた。
 最後に新沼眞作館長は「三陸海岸一帯の浜で獲れる海産物はどこも品質が良いので、末崎産、大船渡産、というだけでは強みにならない。加工方法や調理方法、流通などで工夫して、まっさきならではのブランド化が図れれば、事業化による雇用生み、地域に若者の職場ができるかもしれない。大震災からの復興だけでなく人口減少社会をにらんで、地域に雇用を築く観点から地域ブランドが課題だと思っている」旨の発言で終了した。

■志田 仁さんのお話の要旨

 地域ブランドとは、そもそも何なのかが分からないので、考えてみた。大船渡の場合、さんまだが、ブランド化は成功していないのではないか。例えば、気仙沼のフカヒレと比較したときに、水揚げ、取引市町の規模、希少性などから、負けているように感じる。
 ブランドのイメージをKJ法で自分なりに考えてみた。人口減少や社会的要因経済的要因などを考えると、今のさんまのブランド化では苦しい。「鮮魚のさんま」のブランド化は難しい。無料配布などで鮮度を売りにするやり方から変化が必要と認識している。ブランド化や流行させるには条件が必要とおもっているが、ここからは、皆さんでどうすればブランド化できるのか答えを探してみるのが良いと思っている。

まちおもいトーク&懇談会 写真1
まちおもいトーク&懇談会 写真2
まちおもいトーク&懇談会 写真3
まちおもいトーク&懇談会 写真4
まちおもいトーク&懇談会 写真5
まちおもいトーク&懇談会 写真6
まちおもいトーク&懇談会 写真7
まちおもいトーク&懇談会 写真8
まちおもいトーク&懇談会 写真9

■村上誠二さんのお話の要旨

 今回は「地域ブランド」というテーマを意識した長洞元気村のビジネスについてお話しいただいた。「高齢」ビジネスではなく、「好齢」ビジネスであること、復興支援にくるボランティアや視察者から、視点を180度変えてお金を取るボランティア体験受け入れ、視察受け入れなどについて、親御さんから「行ってきて変わった」と感謝された修学旅行で来村した通信制高校生、新入社員研修やゆべしの定期購入で繋がっている企業の方々、内戦からの復興の参考にと訪れたアフリカの行政関係者との交流など、長洞元気村の活動を語っていただいた。参加者一堂、商品も地域も「ブランド」になる「ブランド化する」には物語が重要であることを改めて感じた。
 (志田仁さんと村上誠二さんのお話の詳細は別途公開する映像コンテンツを参照ください)


 

(6) 海さんぽ
(スタッフ宿泊者14名)

 すぐ目の前が広がる碁石海岸で、静粛な中に聞こえるさざ波の音色が心地よく、安らげた。山の斜面一面に咲く黄色い花がとても鮮やかで、自然の雄大さを感じさせる。朝食のバイキングは海の幸がたくさん並んでいて、筋子、たらこ、朝からお刺身などがあり、デザートはメロン。とても美味しかった。民宿の壁が木造でとても暖かく感じられ、廊下も広くて良かった。鳥の3Dの彫刻に鍵をつけているルームキー。愉快で斬新だった。部屋の前に来ると、部屋の名札を鳥の3D彫刻がくちばしで指している。お客さんへのサービスを感じた。散歩道を歩けなかったのは残念だった。もし歩けていれば、時間帯によっては、かもめの群衆に出会えるかしれない。お湯の温度は、ぬるくもなく、熱すぎることもなく、体感的に良かった。また浴槽が広くて、浴槽の四方が座れるように縁取られていた。座って休憩できる。作りに心遣いを感じた。


7月12日(日) 活動概要

(1) 早朝現地視察 リアス式海岸 7:15~8:00
(現地参加者3名/スタッフ参加者13名)

  7月12日の早朝、宿泊施設の目の前の碁石浜に参加者が集まりました。
大船渡市末崎半島の東南端約6kmの海岸線は「碁石海岸」と呼ばれ、碁石のような形をした黒砂利のある「碁石浜」、3つの洞門を持つ「穴通磯」などの有名なスポットがあります。
私たちは、碁石海岸観光遊覧船という名の6人乗り小型ボート3艇に分乗しました。台風の影響もあり、波が高く、当然、全員ライフジャケットを着ての乗船です。エンジンがスタートすると、海面を飛び跳ねるように船が進んで行きます。ちょっとドキドキです。
船頭さんが、震災の時の津波が、岸壁のどの辺り・高さまで押し寄せたのか、震災の前後で風景が変わってしまった、崩れた岸壁の場所などを話してくれました。目的地の「穴通磯」まで、7~8分ぐらいだったでしょうか、けっこう長く乗った気がします。「穴通磯」に到着し、波がぎりぎりの高さで、なんとか、穴を3艇の観光船が順番にくぐり抜けました。穴をくぐれる操舵の腕前は、限られた人たちだけのようです。
震災で、一時期中断していた遊覧船も関係者の努力と熱意で復活したそうです。乗船するお客さんも減っていると思いますが、普段見られない海から見る海岸線は印象的で、目に焼き付きます。
いつまでも、碁石海岸観光遊覧船というブランド名を残していただきたいものです。

リアス式海岸 写真1
リアス式海岸 写真2
リアス式海岸 写真3
リアス式海岸 写真4
リアス式海岸 写真5
リアス式海岸 写真6

(2) 視察 気仙大工の家 8:10~8:45
(現地参加1名、スタッフ参加者14名)

 明治三陸地震津波・明治29年)以前の明治19年完成の気仙大工の名建築に今も住まわれている吉田力男さんのお宅を訪問。当時、家は漁業に便利な浜にあったが、津波が来たときの被害を逃れるために、6代前の方が決断し、高台にこの家を建てたのだと言う。
 家の前の駐車場から海を覗くと断崖絶壁。その上に家が建っている。3.11の被害もあり、いまや末崎町の気仙大工の家では吉田さん宅が最も古い。末崎地区の歴史を語る吉田さんと気仙大工の家が、大船渡市の歴史の一部であるとしみじみ感じた。つづいて、碁石地域公民館(館長:大和田初男さん)の住民たちが育てている道路脇のラベンダー畑に立ち寄り、午後訪問する「元気村なでしこ会」さんへのプレゼントにラベンダーを摘み取らせていただいた。

気仙大工の名建築
神棚
吉田力男さん
道路脇のラベンダー畑

(3) PCネットよろず相談 9:00~12:00
場所:末崎地区公民館(ふるさとセンター)2階会議室
(現地参加者10名/スタッフ参加者14名)

 前日に引き続いて、パソコンやインターネットの使い方について個別対応支援活動を行った。前日より参加者が増え、終了時間まで熱心に取り組んでいた。

PCネットよろず相談 写真1
PCネットよろず相談 写真2
PCネットよろず相談 写真3
PCネットよろず相談 写真4

(4) 視察 長洞元気村なでしこ工房視察  13:30~15:00
(現地参加者3名/スタッフ参加者14名)

  写真や文章を見たり、読んだりすることよりも、実際に津波が来たところを歩きながら、津波を体験された方の話を聞くこと以上に、追体験できる方法はないと感じた。また、それだけでなく、現在、その場所で、復興を象徴するような活動拠点となっているところを実際に拝見し、貴重な体験であった。
 今回のなでしこ語り部は戸羽英子さんと金野悦子さんのお二人。東日本大震災の津波は堤防を越え、戸羽さんの一階が浸水。戸羽さんは家の裏山に避難。津波は黒く、分速105m~110mととても速かった。これまでの明治29年、昭和8年の三陸沖地震津波とは比較にならないほど、押し波も引き波も強大で、その引き波が家などを押し流していったという。戸羽さんのお宅は幸いにも流されることはなかったが、浸水した跡は、はっきり残っていた。門構えの石造りの損傷が激しかったために、大谷石は取り寄せて修繕したという。戸羽さんの家は海辺から高い所にあるように思えたが、ここまで津波が来たのかと、津波の高さに驚愕した。

津波を体験された方の話を聞く
津波を体験された方の話を聞く
津波を体験された方の話を聞く
海辺から高い所にあるように思えた
裏山に避難
長洞元気村なでしこ工房
長洞元気村なでしこ工房
長洞元気村なでしこ工房
長洞元気村なでしこ工房
長洞元気村なでしこ工房

活動詳細【KK2
アンケート結果


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